お侍様 小劇場 extra

    “夏の終わりに” 〜寵猫抄より
 


今年はなんだか変梃りんな夏で。
ある意味で順当に、六月中はなかなか降らないままに過ぎた梅雨は、
七月に入ってもせいぜい曇天どまりの日を過ごし。
このまま空梅雨となるのかと思わせておいて、
唐突に牙を剥いて見せたひねくれ者で。
凄まじい驟雨豪雨をあちこちに見舞い、
ところによっては、
ダウンバーストによるとされる竜巻まで落っことし。
夏らしい日和が覗かなかった訳じゃあないのだが、
水の事故だって頻発したほどに、結構な猛暑日も記録したのだが。

  それでも、どこか

雨ばっかりだったという印象を残した、
湿気ばかりが幅を利かせていた夏だったような気がする。

 「立秋を過ぎてしまったせいで、
  東北ではとうとう梅雨明けの発表はなかったほどですからね。」
 「あら、そうなんですか。」

落ち着いていて丁寧な、
深みのある響きがついつい耳を傾けたくなる、
そんないいお声をした番頭さんの言へ、
藍染めだろうか濃色のTシャツに、
細身のシルエットがいかにも若々しい正青のパンツという軽やかないで立ち、
前掛け姿の若い娘さんが、さも感心したような相槌を打っており、

 「そういや妙子ちゃん、
  花火を見に行くからって、新しい浴衣を仕立てたんじゃあなかったかい?」
 「ええ。
  でも、夕立の多い頃合いだったんで、結局は着て出掛けなかったんですよう。」

そしたら、その日は終始いい夜空の晩で。
打ち上げ花火は楽しめたんですけれど、
こんなだったら浴衣にすりゃあよかったかしらって、
何だか心残りの花火になっちゃって。
他愛のない話なのだが、
いかにも生き生きとした感情を乗っけて語るものだから。
残念がっている心情がありありと伝わるのが、
聞いていて擽ったいやら可笑しいやら。
季節の変わり目には違いないが、
微妙にお客様の足が途絶える晩夏の昼下がり。
店の奥向き、
接客にと使う畳敷きの小あがりの座敷の縁へと腰掛けて、
手持ち無沙汰なひとときを過ごす、
番頭さんと小間使いのお嬢さんのお話を、
何とはなしに聞いていたものの、


 “…………………………、っ。”


ふっと意識が遠のきかかり、
あれあれ、しまった寝てしまいそうになったと、
びくりと慌てながら、
糸を張るよに伏せてた金の眸、
ぱちくりと見開いてみたところが、

 「…あら、起きた。」
 「  〜〜〜〜っ☆」

目と鼻の先とはよく言ったもの。
相手の黒々とした瞳へ自分の目許が映っているのが判るほど、
そりゃあたいそう間近にあったのが、
この店の女将、雪乃の細おもてのお顔だったりし。
さほどに塗り込む化粧ではなし、
癖のある香水もつけぬ、至って楚々とした拵えを好む彼女は。
それでも十分間に合うほどに、
瑞々しいまでの美貌と愛嬌でもって、
老若男女、どんな客層をも惹きつけてやまぬ、
それはそれは存在感のある女性であるにも関わらず。
時にこうして、
黒猫さんの度肝を抜くよな、
“気配なし”の技を披露してくれる、
何ともお茶目なお人でもあったりし。
潤みの強い双眸をやんわりとたわめて、
水蜜桃みたいにしっとり微笑み。

 「びっくりした?」

うふふと喉をかすかに鳴らしての、
悪戯っぽい微笑いを重ねる、
かあいらしい女性であり、そして

 「変な兵庫さん。」

休みの日は、濡れ縁で丸まって寝たふりしながら、でも起きてるでしょう?
その代わりみたいに、今みたいな頃合いは、起きてる振りしてうたた寝してる。

 「猫は寝るのが仕事なのよ?」

だから、そんなややこしいこと しないでいいの。
さぁさ寝なさいと、きれいな白い手延べて来て、
こちらの頭をうりうりと、柔らかく撫でてくださる可愛いお人。
いかにも無邪気な素振りではあるが、

 《 …ああまで近づいたこと、気づかせぬとはな。》

ただの猫でも気配には聡いもの。
ましてや…こちとらただの猫じゃあないってのに。
常連のお客様からも、
すらり締まった体躯が綺麗だとか、
鈴みたいな金の眸が魅力的だとか、
いかにも絵になる美人な姿が評判の看板猫。
商品棚の空いてるところやカウンターの上などで、
大人しくうずくまってる落ち着きようを指して、
置物みたいに動かないなんてな言いようもされる、
そんな品のある冴えをたたえた猫さんを相手に。
…はっと気がつきゃ、そりゃあ手際よく、
紬の前立て、折り目ひとつないままに正座した、
細いお膝に抱え上げられ。
首の古布の鮮やかな切れ端、
赤い無地から黒地に金のススキを描いた、
新しいのへ取り替えられてたり。
客が立て込んでいる中を音もなく出掛けたはずだのに、

 『作家先生のところのおチビちゃんは元気だった?』

にっこり微笑ってのお出迎え、
開口一番にそんなことを訊いて来たり。
油断のならぬ、女傑だったりし。
転た寝するなら棚から落っこちないでねと、
ころころと微笑いつつ奥向きへと向かう、
嫋やかながらもしゃんとした、
細いお背
(せな)を見送った黒猫さん。
聞くものはないのに、それでもこそりと吐息をついた。
陽盛りはまだまだ真夏の陽気という感があるものの、
それでもさすがに秋めいたものか、
木陰や屋内じゃあ、乾いた風が涼しい今日このごろ。
体感温度が心地よく、
ついつい舟だって漕いでしまうというもので。

 “それでなくとも昨夜は…。”

先程たとえに出て来た仔猫のお家で、
昼ひなかの、しかも家人の前という危うい条件下で、
邪妖狩りの姿を現したらしき同輩の浅慮、
何をやっとるかと説教に行ったはずが…どうしてだろか、

 『……そっちに行った。』
 『おお。』

黒い害虫退治に駆り出され、

 『だあ、こらこら。落ち葉で隠すな。』
 『??』
 『こやつらのメスは、当人が死しても卵を孵すことがあるという。』
 『っ!』
 『ああ。なので、亡骸までしっかり処分せねば意味がない。』

とか何とか、終しまいにはこっちが積極的にかかっていた爲體(ていたらく)よ。
愛刀“榊長船”を、選りにもよって何ということへ使ったものやらと、
我に返って悔しがってももう遅く。
夜っぴて奮闘したその末のこと、
ついつい転た寝しかかったところを、
これまた選りにもよって、
人の和子たる女将にやすやすと見破られようとは。

 《 ………。》

何たる不覚と憤然としている大妖様の心根も知らず、

 「ひゃあ、この紅葉の景色、綺麗ですねぇ。」
 「まだ緑の枝を背景に、茜がかった楓の加減が何とも絶妙で。」

秋の販促用のポスターだろか、
そりゃあ鮮やかな赤と緑のコントラストを主張している庭園の一景が、
大判の上質紙上へと切り抜かれており、

 「十一月頃の深紅の楓や黄金色のイチョウも、凛としていて綺麗だけれど。
  早い時期のまだまだ若い秋の彩りも素敵よねぇ。」

和気あいあい、
丁度今 訪のいつつある季節のお話、家人らと交わす女将のお顔は、
いかにも屈託がないままに明るくて。


  《 …………ふん。》


屈託のない存在にしてやられるのは、既に抱えている一人で十分と、
闇だまりにも似たその痩躯、
くるりと丸めて、気配を消した、
少々お疲れの黒猫さんだったりするのであった。




  〜どさくさ・どっとはらい〜  09.08.25.

タイトル端のニャンコの素材、お借りしました 『路地裏の猫』サマヘ


  *ぼんやりな同僚に、なのに振り回されてる大妖狩りさん。
   大変なんだか、満たされてんだか、
   そんな“異邦人”の彼のこと、
   一体どこまで判っている雪乃さんなんでしょうかしらね?
   ねぇ、Y様vv
(くすすvv)

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